歌いながら考える by 小春日

長年趣味で取り組んでいる「歌う」という行為、聴いた音楽のことなどを中心に書き留めています。

他者に楽譜を供するということ

合唱コンクールやアンサンブルコンテストへの出場に際し、合唱団から審査員の方に楽譜を貸与することが通例となっている。私も、これまで何度も、自分が購入した楽譜を審査員用に提供している。

そんな中、2019年のコンクール出場の際に提供した楽譜で「ん?」と思った事案があったので書き留めておくことにする。

 

「Men's Vocal Ensemble ”寺漢”」として出場した、全日本合唱連盟が主催するコンクール。広島県大会、それに次ぐ中国大会に、自由曲の楽譜を提供した。両大会は、比較的日程が近かったことから、広島県大会終了後「そのまま審査員用として持っていてください」とマネジャーに預けていた。

中国大会が終わり、戻ってきた楽譜を見たら、私の楽譜だけ、折り目がついていたのである。

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(全頁、決まった位置が折られていました。)

見た瞬間、悲しみと怒りが込み上げてきた。

この件を、戻ってきた直後にFacebookに投稿したところ、次のことを情報として教えていただいた。

・折り目がつけられたのは、広島県大会でのこと

・特定の審査員からのリクエスト(指示?)があったこと

・ページをめくりやすいよう、折り目をつけておいて当然、という趣旨でのリクエストだったこと

また、今回の件とは全く関係ないが、審査員の書き込みが残った状態で楽譜が戻ってきたことがある、という経験を教えてくれた方もいた。

 

・・・そうだよな。

審査という仕事のために提供した楽譜だから、「きれいな状態で返ってきて当然」と考えること自体がおかしかったのだろうな。

次々と出てくる出場団体の、ともすれば耳にする機会の少ない曲を聴いて、その場で評価を付けていく作業。楽譜をおいかけていくためにも工夫が必要だよな。書き込みが残っていれば、記念として残して置けるかもしれないな。

 

審査員用であれ他の用途であれ、他者に楽譜を供すれば、その人が使った形跡が付いて戻ってくるものだ。それを承知の上で、自分の楽譜を供し続けることにしよう。

 

かの審査員氏(特定できていないし、するつもりもない)、自身が提供した楽譜に折り目がついて返ってきたらどう感じるのだろうか。